2006年6月30日金曜日

「鼻から挿入する胃カメラ」はじめました


 1.はじめに

 ご存知のように、日本人の死亡原因第一位は癌です。その中でも胃癌は肺癌に次いで死亡者数の多い癌です。胃癌が恐ろしい病気であることは言うまでもありません。しかし、医療の発達により、胃癌の早期発見・早期治療が可能となり、その死亡率は年々減少してきています。胃癌の早期発見にもっとも貢献している検査法が上部消化管内視鏡(胃カメラ)であり、近年その発達にはめざましいものがあります。画像がどんどん鮮明となり、非常に小さな胃癌も発見できるようになりました。場合によっては手術しなくても内視鏡下で胃癌を切除し、根治する事ができます。しかし、胃カメラの一番の難点は、直径1センチ程度ある管を口から飲み込む必要があり、個人差はありますが多少の苦痛を伴う検査法であるという点でした。最近この胃カメラの一番の弱点を補う「経鼻内視鏡(鼻から挿入する胃カメラ)」が開発されました。当院においても早速この新しい胃カメラを導入いたしましたので、ご紹介します。

 2.経鼻内視鏡の特徴

① 胃カメラが舌の根元(舌根)に触れることで、咽頭反射(嘔吐感)が起こります。 鼻からの挿入でこの問題が解消しました。(図1)

② 経鼻内視鏡は従来の半分、5.9㎜の細さです。その分違和感が少なく、スムーズな挿入が可能です。

③ 鼻への麻酔も微量で、身体への負担が軽減されます。

④ 患者さんは検査中にしゃべれるため、安全な検査につながります。また、検査の途中でモニターを見ながら医師に質問することもできます。今までの口から飲み込む胃カメラでは検査中に話すことができなかったため、精神的な苦痛も伴いましたが、その点も解消されたわけです。

 3.経鼻内視鏡の欠点
 

① 両側の鼻腔がともに狭い場合、また、鼻の病気や手術をなさったことのある方には、経鼻での検査ができないこともあります。その場合、口からの胃カメラに変更します。

② 数%の頻度で鼻出血が起こりますが、内視鏡を抜去して  分程度鼻を押さえていれば止血できます。

③ 口からの胃カメラに比べやや画像が荒く、また、送気・送水・吸引の力がやや弱いため、視野が悪くなったり、検査時間がやや長くなる傾向があります。

 4.胃癌で死なないために

 高血圧や糖尿病といった生活習慣病とは異なり、胃癌を予防することはなかなか困難です。そのため、胃癌で死なないようにするためには、早期発見・早期治療が重要であることは言うまでもありません。京都市が行っている胃透視による胃集団検診を受けていただくことも有意義なことです。しかし、胃カメラの画像精度の発達はめざましいものがあり、胃透視に比べはるかに多くの情報を得ることができます。もちろん胃透視にも胃カメラにはないよい点があり、可能であれば両方検査を受けていただくとより確実に胃癌を発見することができますが、時間的・経済的・身体的負担を考えると、それは非効率的です。胃癌の早期発見のためにどちらか一つを選ぶのであれば私は迷わず胃カメラをお勧めします。できれば1年に1回検査を受けていただければ、0%とは言いませんが、胃癌で死ぬ確率を極めて小さくすることができます。ただし、京都市では胃カメラによる胃癌検診は今のところ行われていません。腹痛や食欲不振・胸焼けといった消化器症状のある方は健康保険で胃カメラを受けていただけますが、全く症状のない方が検診代わりに胃カメラを受けていただくときには自費診療となりますので注意が必要です。

 5.経鼻内視鏡の勧め

 今まで、口からの胃カメラを1年に1回飲んでもらうのは身体的・精神的苦痛を伴い、なかなか大変であったと思います。しかし、経鼻内視鏡は検査に伴う苦痛が少なく、繰り返し受けていただくことが容易になりました。定期的な検査にはもってこいであると思います。現在消化器症状のある方はもちろん、症状はないが胃癌に対して不安をお持ちという方は、是非一度経鼻内視鏡を受けられることをお勧めします。

製品情報ページ(フジノン東芝ESシステム株式会社)
http://www.ft-es.co.jp/about_scope/nose.html

医療法人一仁会 石野病院
理事長 岡田 純

来し方を振り返り そして これから

 最近、歩んで来た道を振り返る事が多くなりました。反省と後悔の方が多かった人生を振り返り、私の様な未熟な人間でも残された人生、御縁のある方達の御役に立てればと思っています。
 思えば、中学時代に歴史の教科書に載っていた広隆寺の弥勒菩薩の姿に引き込まれるような感覚を覚えて、程なく作文の宿題があり『人は生まれながらにして善か悪か(性善説・性悪説)』を取り上げました。が、十代半ばの年齢では答えが見つかるはずもなく、一生の課題としました。
 京都の看護学校に入学、卒業し京都に残り結婚、出産、育児後、再度医療の世界に身を置くことになった中で、現時点では『人は生まれながらにして善だけでも悪だけでもなく、両方合わせ持ち生まれてくるのでは』という答えに至っています。そして生き方により善悪の割合が多くもなり少なくもなるのではないか、と。
 二十年近く前になるでしょうか。何の前ぶれもなく突然知人の方が「この絵はこの家に置くのが一番ふさわしい。差し上げます。」と言って持って来て下さったのが、あの歴史の教科書と同じ広隆寺の弥勒菩薩の画(四十号位)、それも写真かと思える様な写実的なものでした。玄関を入ったところに飾らせて頂きましたが、その画と向かい合う毎に“より善としての生き方をするように”と語りかけられている気がします。
 瀬戸内寂聴さんが『人は生涯に自分の才能の一部しか発揮せず死んでいく。生きるとは隠れている才能を生涯かけて少しでも発揮できる努力をすること。』と書いておられ、又ある投書に『老いても自分の知恵や体験が人の役に立ったり、存在感が人々に安心や喜びを与えているうちは、まだ生きがいを感じることが出来る。』とありました。
 少し老いを感じる年齢で石野病院に御縁があった事は、スタッフの方達の『隠れている才能を発揮しようとする努力』に少しでも御役に立つことが、私の人生の後半の生きがいとしての必要事なのかと思っています。

看護部長 天達節子
2006年 夏号

捨てられない物

 平成五年に滋賀県のO病院が閉院したため退職を余儀なくされ、寮にあるものを色々処分したものの、どうしても捨てられなかったものが本でした。
 田んぼのまん中の病院で買い物に行くにも車で四十五分と、まるでアメリカの様な生活環境で七年足らず、楽しみといえば本しかなかったので、京都に出て来るたびに一万円ほど買い込んで、テレビ代わりに読んでいたのです。しかし流石に引越しにあたり、雑誌の類は捨て、ハード・カバーの本のみにしても17㎏箱 ×22個は、木造二階建ての我家には、いかにも重量オーバーです。
 その後、京都の伏見の病院に御縁が出来、半分は新居に引き取りましたが、弟の「床が抜ける」の言はつらかったです。有難い事に、新居の近くに図書館があったので、仕事で使う本以外は、図書館で二回以上借りた本を買うというルールを決め、平成十七年に現在の住み家に転居するまで、そのルールを守り通しました。が、十二年近くの間に本は増殖し、引越しの時数えてみましたら、再び17kg箱×22個。女の一人暮らしとあなどって、女性スタッフ一名、男性スタッフ一名で来ていた運送会社の人達は、急遽助っ人を呼ぶ始末でした。
 現在の私のルールは、図書館にある本は買わない、です。それでも、E・ピータースの修道士カドフェルシリーズ、全二十一巻(光文社)が欲しいなあと思っています。

言語聴覚士 O・S
2006年 夏号